三十代の潜水生活

適当に書きます

2021.6.21〜25

AmazonプライムデーでFire HD 8を買う。元々絵を描く時に資料を見るためのモニターがもう一つ欲しいと思っていたのでそれ用で。あまりガジェットを買った経験が無いので割と楽しい。ピロウズの再現ライブのチケットが取れておらず、先日作ったクレカで抽選に申し込む。大量の電気代督促ハガキを消化して達成感を得る。特に忙しくないのに疲れ切る日が多く、虚しさを感じるとともに要因としてやっぱり人間関係の中に置かれる事や自分の一般常識との乖離に対して必要以上に神経をすり減らしてしまうのもあるんじゃないかと思う。ラブライブサンシャイン11話に良いね〜と思うと同時に本心を隠すキャラクターに自己投影してる部分もあるのではと感じ気持ち悪くなる。初めて体重が60キロを越える。近所の本屋でセールになっていた "丸山眞男 没後10年、民主主義の〈神話〉を超えて"を買う。近所のベトナム人が警察を呼ばれており引っ越したい度合いが高まるがまだ諸々の準備の怠さには負けている状態。

加藤典洋 "耳をふさいで、音楽を聴く" を読む。奥田民生からスガシカオじゃがたらフィッシュマンズ等日本のポップミュージックを論じた本で、フィッシュマンズの記述を読みたくて手に取る。文芸評論家としての観点によるため音楽的な知識や分脈はほぼ介さず聴いた曲の感触と歌詞、書籍やネットからの情報等からの分析が主。こういう類の本は大抵ミュージシャンの物語性に寄りかかりすぎたり定義が曖昧なワードを駆使した独りよがりな文章になってそうという先入観があり、確かに"歌謡曲感"に対する嫌悪の記述などうーんと思う表現はあったが、全体としては語る言葉と音楽性の乖離は無く逆に腑に落ちながら読み進められる部分が多かった。J-POP的ないわゆる売れ線曲と趣味寄りの脱力気味な曲を書き分けていた初期奥田民生が歳を経るにつれて楽曲の構造自体が日本の典型的なポップミュージックから外れていき両者の区別がなくなっていった事や、フィッシュマンズについて後期〜最期の変化についてドラッグを起点にしていると仮定しても佐藤伸治が"何もしない事を意思として歌う"というそもそも困難な方針を突き詰めていった事を含めた周辺のあらゆる要素を加味したものだったのではないかという記述、じゃがたら江戸アケミの持つ社会的アジテーション〜フォーク嗜好に一つ下世代のメンバーの志向するファンク等の音楽性が融合して特異なものになり得ていたという部分(この辺は引用されているじゃがたらの書籍を読んだ方が良いかもしれないと思う)等が面白かった。