三十代の潜水生活

適当に書きます

2021.5.22〜23

土曜はよく寝る。夕方に幕張の古本屋で石黒達昌 "平成3年5月2日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに……"、阿部和重 "プラスティック・ソウル"、ROCKIN'ON JAPAN 1995年4月号を買う。散歩して帰る。

日曜はフィッシュマンズ佐藤の墓に行く。経路を調べるとJR1時間にバス30分程度で割と行きやすいようだったが、駅から霊園までのバスの本数が少ないので午後一くらいで着くように時間を合わせ茂原駅まで行く。ラーメン屋で牡蠣ラーメンを食べ、茂原駅前からバスに乗り13時過ぎ頃に笠森で下車しすぐ近くの笠森霊園へ入る。近くに笠森観音なる場所もあり興味を惹かれるが今回は見送る。インターネット情報では墓は芝生の高台に位置しており分かりやすく白い看板が立っているとの事で、親切にも区画番号を書いている記事もあり参考にして探すが全く見つからず1時間近く歩き回ってしまう。区画番号を順番に辿っていくが該当の番号だけ抜け落ちているようで、加えて墓地を一人で歩き回る自分の不審さに気持ちが折れそうになり内心諦めて帰ろうかなと思えてくるがGoogleマップで墓の並び方と航空写真を突き合わせてようやく見つける。墓は確かに静かな丘の上にあり、側にはメッセージノートや雑誌の切り抜き、幼少期からバンド結成以降の写真が貼られた手製の経歴ノートなどが入ったクーラーボックスがありしばらく眺めて90年代後半と地続きの空気をわずかに実感する。長居したかったが人の目が気になり静かに帰る。

フィッシュマンズを聴いたのは中一の頃TSUTAYAで借りた"空中キャンプ"が初めてで、当時ミスチルスピッツくるり(歌もののみ)くらいしか音楽の参照項が無かった自分にとっては不気味な音響やふにゃふにゃした甲高いボーカルに加え夭折したという事実も相まって誇張抜きで恐怖の対象となったバンドだった。その後明るい初期作やライブ盤(地元では売っておらず新宿のHMVで"ORANGE"や"男達の別れ"を買った)やベストアルバム(リリースを知り動揺した)を聴くにも恐る恐るといった感じで、そういう意味ではある意味特別な存在であり最近は反動なのか思い出した頃にぼちぼち聴くみたいなスタンスだったが今回の経験で聴き方の角度が変わりそうで(こういう言い方もどうかと思うが)何か良かったと思う。

f:id:alerok:20210607123308j:image

幕張駅のツバメ


f:id:alerok:20210607123254j:image

ラーメン

 

f:id:alerok:20210608172643j:image

霊園


f:id:alerok:20210607123325j:image
f:id:alerok:20210607123302j:image